そして、保守的で硬直化してしまった金融機関は破綻するに至ります。破綻するまで、だいぶ期間もあり、まだ破綻すると決まっていたわけではありませんでしたが…実際に、ほとんどの人は私が辞めた99年の時点では、破綻ということはあまり頭になかったと思います。結局は、破綻がどうだというより、改革の旗振りをすべき本部の経営企画部などの官僚体質に辟易して辞めることにしました。
ですが、後から思うと私が居た支店はおもしろい店でした。住宅店舗なのに企業融資残高がかなり多いという特殊な店でした。その融資の大半が「お金を持たない銀行 -1- 」 でも触れた海千山千の不動産業者です。当然、そのほとんどは焦げ付き。それらを融資した時の担当者が理事長クラスの椅子に納まって本店でのさばっていました。当時の大蔵省による検査も必ず対象になる店でした。
*支店には、店種というものがあり、主に預金集めと住宅ローンなどの割合が多い住宅店舗、企業融資の割合が多い融資店舗、またはそれらの複合店舗などがあります。
バブル期の負の遺産です。バブル期の頃、私は中学生でしたが、中学生の頭でもその時代が異常だと感じていました。例えば、NTTの株を買ってしばらくして転売したら、車が買えるぐらいの売却益が出る。明らかに異常ですし、単なるゼロ・サムゲームです。
中学生の頭でも、分かることが分からない当時の理事長クラスの人達及びその直属の経営企画部に改革なんてできるわけがないと思っていました。
哲学がない人間が大嫌いで、教養と品格のない権力者が大嫌い、当時の私の感情は怒りが支配していました。
今でも、私が怒りを覚える対象は変わっていません。ただ、少し怒りとの付き合い方を覚えました。怒りに感情を支配されていると、いい結果は出ません。自分を応援してくれる人も傷つけてしまいます。
一方で、支店の人達・お客さんは大変好きでした。お客様は、大学を出たばかりの22歳の人間にいろんなことを相談されるのです。小学校の頃の私が見ていた銀行員のように格好いいと思える対応ができていたがどうかは分かりませんが(笑)
怒りに感情が支配され苦しかった時期でしたが、何か仕事の喜びを純粋に一番感じていたのもこの時期かもしれません。ただただ、人から感謝される瞬間がうれしくてたまりませんでした。
この頃のことを思い出していると、何かすごく感傷的になってきます。泣きそうになってきます。何故だか分かりませんが…
つづく?つづけます!