2011年05月24日

独裁者

独裁者 “ブログ市長”の革命 [単行本] / 竹原 信一 (著); 扶桑社 (刊)

先日観た、橋下知事を取り上げたドキュメンタリー「議論する独裁者」は大変興味深いものだったが、今回読んだ書籍「独裁者~ブログ市長の革命~」は、さらにおもしろかった。

この「独裁者~ブログ市長の革命~」の著者は、橋下知事が「阿久根市長の考え方は尊敬」と評していた、阿久根市の竹原前市長です。

ビジョンに共感している私から見ても、少し過激な手法だなという印象を持っていましたが、今回この一冊を読んで、その見方は変わりました。その取り組みには一貫性があったのは、もちろんのことですが、過激なのではなくすごく理性的だったのだなと。過激なのは、既得権をどんな手段を使ってでも守ろうとする議会や公務員であったことを改めて知りました。そして、変わり者の市長だと何も本質を知ろうとせずに煽るマスコミとも闘わないといけなかった。

前市長の言っていることは、至極まっとうなことばかりで、何故地方議会が不要なのかが、よく理解できました。

去年の夏、鳥取県の智頭町で町長のトップダウンで始まった100人委員会というものに接する機会がありました。100人委員会はボランティアで公募した約100人の町民が「生活・環境」「商工・観光」などの6つの部会に分かれ、約半年をかけて事業を企画提案して予算化を要求するものです。高い報酬をもらっている議員の仕事の質の低さ(議会の議事録などを読み込む必要があり、読んだ際にその議論のレベルの低さに愕然としました)に比べ、100人委員会で出てくる提案は意義深いものばかりでした。議会って何のためにあるのだろうと漠然と思っていました。

ボランティアの役割は企画提案して予算化を要求するところまでで、いいと思います。実際の政策に落とし込むには専門的な知識や技術がいるので、それを議員が担えばいいのではないのかとも思いましたが、実務能力のない議員には期待できません。

アメリカでは、高い専門性と技術を持った「シティマネージャー」という民間の経営感覚を持った人たちが首長から直接任命され、政策の実行を担っているそうです。だからこそ、議員をボランティア化できるそうです。

自分自身が、1年前に漠然と「議会は不要では?」と思っていたことは、特別変わった考え方でもないのだと改めて実感しました。

私たちが応援していた市長候補も「シティマネージャー」の話をされていました。持続可能な自治体経営のモデルには、この「シティマネージャー」の制度も必要です。これから、こういう話もどんどんしていきたい。

政治的なものにはあまり興味はありませんが、私は行政も経営だと考えているから、こういったテーマに興味を持ち続けているのだと思います。逆に言うと、経営を政治的なものにするのは、大嫌いなことです。だから、組織のアンタッチャブルなことに触れて干されたこともあります(笑)

でも、「当たり前のことを当たり前にしたい!」という自分の軸は一生ブレないでしょう。勝手な解釈ですが、高杉晋作の辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」と「当たり前のことを当たり前にしたい!」は同じことだと思っています。「おもしろい」というのは単純に楽しいということではなく、「当たり前のこと・あるべき姿」なのではないかと…「理不尽なことがまかり通る社会を、当たり前の姿に」。で、それができたら本当におもしろい!


~本文より~
政治屋(Politician)と政治家(Statesman)
楽に稼げるから議会の趨勢に付和雷同し、自らの利権確保と保身のみに専心している。

「開かれた議会をめざす会」の調査より
1年間で議員による条例案の提出件数がゼロという議会が、全体の89.8%。
一般質問にしても、議員定数の半分以下の議員しか行わなかったという議会が、全体の43.5%。

「政治屋(ポリティシャン)は次の選挙のことを考え、政治家(ステーツマン)は次の時代のことを考える」アメリカの神学者・作家 ジェームス・フリーマン・クラーク

真に次の時代のこと、次の世代のことを考えれば、自らの保身に走っている暇などないはず

イギリスの経済学者でケンブリッジ学派の創始者 アルフレッド・マーシャル
「(ステーツマンとは)冷静な頭脳と温かい心を持って、周囲の社会的苦悩と闘わんがために自己の最善の力を喜んで捧げる人」
「喜んで捧げる」、つまり、政治家には奉仕の精神が求められるのです。クールヘッド(冷静な頭脳)、ウォームハート(温かい心)、そしてクリーンハンド(きれいな手法)が必要だとも付言している。


議員は地域や団体の利益代表の性質を自ずと持ちます。しかしながら、首長は住民全体の代表なのです。両者は同じ住民の代表であっても、民意の反映のされ方に大きな違いがあります。

地方議会は不要
地方分権の目的は、最終的には住民自治の実現と言ってもいいでしょう。
自治体への権限と財源の委譲は、住民の近くにこれらの権限を置くことで主権者たる住民が行政をよりコントロールしやすくなり、地域住民の民意が行政に反映されやすくなることで住民自治を実現しょうというものです。
「地方自治は民主主義の学校」
かつてのイギリスの政治家であり法学者のジェームズ・ブライスの言葉はあまりに有名ですが、住民自らが責任をもって地方政治に参加することによって、民主主義を学ぶことができることから、「地方自治」という理念を「学校」に喩えたものです。
しかし、現在の日本ではほとんどの住民が「学校」には登校していません。

議員の定数や議員報酬を減らすには、議員をボランティア化し、喫緊の政策課題には高い専門性を持つ政策スタッフを議会が専任するのが有効だと考えます。
議員定数削減に対して議会は決まって「民意を反映できなくなる」という常套句を使いますが、ボランティア議員として多くの定員を与えれば、むしろ民意はより反映されるはずです。一方、高度に専門的な能力を持つ政策スタッフは、「シティマネージャー」と呼ばれ、アメリカなどではもっとも普及している制度です。行政の専門家を事務方のトップに据え、議会が決定した政策の実行を担わせるのです。

彼らの最大の関心事は、収入と休暇、そして省益に代表される組織の力の確保、つまりカネと権力です。国民の暮らしなど初めから眼中にないのです。

個人や組織というものは、能力や成果に関係なく報酬を得るようになると感性は麻痺し、腐敗の一途を辿ります。
posted by 田辺 大 at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・映画・音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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